東洋大学 松原聡教授の『武雄をめぐるやりとり(ここ数日のメンション相手)について』について。
『武雄をめぐるやりとり(ここ数日のメンション相手)について』
それほど内容でも無いので手短に書く。面倒だし。
上の松原教授のブログとともに、こちらも見ていただきたい。
違和感そのいち
『自らの思想、立場の相対化ができていない』という部分において、
「自らを「一部の市民」、一部の「公共性、公益性」の代弁者、にすぎないと位置付けることができるか」
と書いておきながら、
『改革の意味を理解しようとしない』の部分で、
「私は、改革とは、「市民サービスの向上を、高い費用対効果で実現すること」と考えている」
という書き出しである時点で、自分自身にその理解が無いのではないかと感じた。
「自分はこう考えている」という理論展開をしているにも関わらず、他人の「こう考えている」というのを否定出来る傲慢さは理解し難い。
違和感そのに
『民主主義の基本である、選挙、議会の軽視』の部分については、そのプロセスが騙し討ちの状態であったことを伝えたわけだが、それを無視した理論展開である。
佐賀県武雄市の問題について:takeoproblem > 03:武雄市図書館 > 05:アンケート
武雄市の議会の議事録[PDF](ページ下部表示271に市民は愚か、議員にも秘密にしていた事実あり)
「このバナナは10円ですよ」と言っておいて、食べたら100円取られる状態を容認するのが、彼にとっての民主主義であるならば、それは民主主義の破壊者と言われても仕方ないだろう。
もしかしたら、指摘した部分を未読なのかもしれないが、それは議論の軽視なので結果は同じである。
ちなみに私は選挙や議会が民主主義の基本という部分にも賛成していない。
代議民主制のシステムを否定はしないが、民主主義の基本は多様性の容認であると考えているからである。
多数決という理論はオチを付けるためには有効だが、それを民主主義とイコールで捉えられるのにも違和感がある。
違和感そのさん
「トータルに見てプラスと判断するのか、その判断が問われる」などと書いているわけだが、私自身は「トータルでマイナス」と判断しているから指摘している。
それを、自分の理解が及ばないから、自分の意見と合わないからと言って、このような書き方をするのはストレートに言えば卑怯な理論展開である。
これについては違和感そのいちに書いたことが全てを物語っている。
どうも松原教授は「変化さえすれば良し」的な理論展開であり、それが崖に向かっていることなど考えることも無さそうだ。
そんな人間が「総合的な意思を持っている」などとは微塵も感じられない。