「批判は楽」という根拠の無い印象論 #武雄市問題
たまたま仕事の絡みで東京に来ていた人物に合わせ、昨夜は武雄市の問題に言及している人々9人が集まって飲みながら談話。
そこで話題になったのが表題の件。
武雄市(というか、樋渡啓祐)に関わる人々がよく言う言葉なのだが、何を根拠として「批判が楽」だと言っているのだろう?
情報を集め整理したり、不足情報に関しては行政に開示請求をかけ、それを読み込み噛み砕いてブログにアップする。
時には情報の一つとして個人的に興味の無い本(ex.樋渡の本とかね)まで図書館で借りたり、金が勿体無いと思いつつ購入して読む。
色々な確認作業や勉強のためにわざわざ遠方へ出向いたり人に会ったり。
批判の裏付けとして発信されている情報には、それなりに時間と手間がかかっているのだ。
そういった情報を添えた批判に対して、きちんと説明するなり反証をすれば良いだけの話だと思うのだが、彼らはその情報をスルーし批判をしている人々を貶める発言をすることばかりに終始する。
「批判は楽」などという印象論の展開もそのうちの一つだ。
批判している人々を揶揄するのではなく、批判している内容について語れないのかね?
それでは「後ろ暗い部分がある」と思われてもしゃーなかろーよ。